教師が最初に持つべき才能は、子どもの才能を見つけて、引き出すことです。必ずすべての人が、自分の中に何かを持っています。ですから、子どもたちが才能を引き出せるように励ますことが大事です。
では、才能とは実際にどんなものでしょうか。
おそらく私たちは才能についての考えを改める必要があるでしょう。ここでお話しする才能というのは、偉大な芸術家の話ではありません。どんな人でもそれを持っていて、社会に何らかの貢献をするためにそれを使うことができます。たとえば、いわゆるタレントを発掘するようなテレビ番組があります。そのようなテレビ番組を見て過ごすのはいいですが、そこでは才能という概念の定義はとても狭められています。どんな人でもそのような番組に出られなければがっかりしますし、もし参加できたとしても、選ばれなければがっかりします。また、もし最終的にコンテストで勝てなかったら、そのときもがっかりします。そのようなフラストレーションの感覚は、タレントという概念による結果といえるでしょう。
才能とは、とにかく何かにおいて成功しなければならないという意味ではないのです。才能があるというのは、何かをして有名になるという意味ではありません。こういった番組は、歌や踊りなど、優れた人を見つけるのに役立ちますが、才能にはいろいろな種類があります。すべての人が何らかの才能を持っています。それは、芸術的、技術的、精神的、身体的、個人的、社会的、いろいろな種類があります。私たちの才能を使って、社会をもっと良い世界にすることに貢献する。それによって、物事を変えることができるのです。
ギターを弾いたり、歌を歌ったり、うまいジョークを言ったり、難しいメロディの口笛を吹いたり、私たちはみんな自分の才能を持っています。また、料理やスポーツが大好きな人がいるのと同じように、好奇心を持って、常に新しいことを学ぶことに喜びを感じる人もいます。これは子どものときの経験と関係があると思われます。子どものときに、さまざまな環境に馴染ませることが大事です。日常の家庭だけではなく、いろいろな人の会話を聞き、さまざまな考え方に触れることも大事です。
私たちはみな、自分自身の中に何かを持っています。たとえば次のような才能を持っているか考えてみましょう。
・積極的な態度
もしそれを持っていなければ、改善することが可能です。悲観主義者で月に行った人はいません。つまり、積極的な態度とチームワークが大事です。
・ユーモアの感覚
・自己管理能力
教室で受け持つ子どもたちに受け渡すことも可能なレベルの自己管理能力です。
・創造性
人によって隠れていることもありますが、すべての人がそれを持っています。
・コミュニケーション力
・共感
もしそれを持っていれば、その能力はすぐに生徒に反映しはじめるでしょう。
・対立管理能力
もしこの能力を持っていない場合は、どうしたらもっとうまく対立を管理できるか、研究してみましょう。この能力は、大人にも子どもにも、私たちみんなのためになります。
・統率力
・鋭い嗅覚
・まとめる力
・説得力
・責任感
・物事を修復するセンス
・忍耐力
・聞く力
これは才能というよりも、ある意味芸術です。
・粘り強さ
教師が持たなければならない最も重要な性質の一つです。なぜなら私たちは、行く手にたくさんの壁をみつけることになるからです。子どもたちのために何をしてあげられるか、永続的に考え、あきらめない粘り強さが必要です。その能力を発揮できず、道半ばで教室を去ってしまう良い先生たちもいます。
・利他主義
見返りをいっさい期待せずに物事を行うこと。毎日、子どもたちとともに、この利他主義を共有すること。
・学ぶ力
・好奇心
では、どうやったらこれらの能力をみつけることができるでしょうか。
多くの子どもは話を聞いてもらえずに、私たちの人生を通過していきます。ですから、もし私たちが才能を見つけたいなら、最初にしなければならないことは、親も教師も、子どもの話を聞いてあげることです。対話することも大事ですが、もっと大事なのは、聞くことです。聞くことは芸術です。
親も教師も、子どもたちのすべての感覚を探索することからはじめることができます。彼らは、とてつもなく創造的な存在であることを思い出しましょう。彼らは扉を開いてもらうことを必要としています。
たとえば、野外活動やスポーツ、自然と関わりのある活動を経験させてみましょう。あるいは、あらゆる種類の芸術的パフォーマンスを観に連れていくこともできますし、さまざまなジャンルの音楽や文化を体感させることもできます。私たちは、もし何かに興味が持てなかったり、好きなことではなかったりすると、そのようなものを子どもや周りの人々に共有はしないかもしれません。しかし、たとえ私たち自身が興味がなくとも、それを表に出さないほうがいいでしょう。教師や親は、子どもたちほどの順応性を持っていないのですから。私たちの好き嫌いはいったん脇において、子どもたちがいろいろなものに触れられる機会をつくりましょう。
ときには台所のお手伝いをして、匂いや味を経験することや、外国のスパイスで料理することも素晴らしい経験になります。友達と演劇や発表をやらせてあげるのもいいでしょう。私たちは彼らがイベントのキャラクターになれるように、さまざまな服や古いものをトランクに準備しておくこともできます。彼らがどんどん小さな世界に閉じこもるかわりに、創造的な世界を開いてあげることができます。おそらくこれは、新しく聞く話ではないでしょう。みなさんはもうすでに知っていて、学校や教室、家でもすでに使われているはずです。これらのことを毎日心に留めて、実践しながら改善していきます。
前述のとおり、隠れた才能を見つけることが最優先です。一度見つけたら、それをしっかり掴んで、種のように大事にしてください。才能はそこにありますが、私たちはその才能を放置しないで、毎日粘り強く水をやり、育て、磨いていかなければなりません。
その才能を見つけるために最も大事なことは、耳を傾けて、彼らの話をよく聞くことです。子どもたちと一緒に教室にいる多くの時間を経て、ときおり旅行や課外活動に行くと、友達との関わりを通して彼らが発揮する能力に驚かされることがあります。だからこそ、教室にいるときに、子どもたちがありのままでいられるような心地良さをつくることが大事です。そのことにより、子どもたちは才能を発揮しやすくなります。
私たちは親として、あるいは教師として、癖、傾向、あるいは影響されているものに気を配るべきです。たとえば次のようなことです。
一、私たちの生徒や娘、息子が一番にならなければいけないと言わないでほしいのです。これは肝心なことで、私たちはそれを確実に理解しておく必要があります。子どもたちが幸せな気持ちになれる活動が必ずあるはずです。子どもたちが熱中し、元気になり、楽しめるものがあるはずです。これは私たちが気を配っておくべきところです。
二、テレビでよく見るような才能の競争をさせるのではなく、一人一人が才能を持っていて、社会に貢献できることを心に留めておきましょう。これまで見てきたように、才能というのは、偉大な芸術家の話ではありません。たとえば、自分や隣の人を救う才能があれば、充分に幸せといえるでしょう。才能は幸せと同義語です。私たちは才能を大事にしなければなりません。
三、子どもたちは親の反映となるものではありません。たとえばスポーツにおいて、子どもたちがたとえ達成できなくても、力を尽くさせることを強要するような両親を見かけることがあります。そのような両親はたくさんのプレッシャーを彼らに押し付けます。たとえばフルートを吹かなければいけない、医者にならなければいけないなど。私たちがやってこなかったことを、子どもに押し付けようとしないでください。たとえ私たちがやれたことでも、子どもたちには子どもたちの生き方があるのです。彼らを励まし、アドバイスしましょう。子どもたちはお父さんやお母さんの反映ではありません。
一般的に私たちは、隣にいる人や近くにいる人、あるいは才能のある人から、いつも学んでいます。周りにいる人たちから多様性を学ぶことは、謙虚であるためにとても重要です。
hyugabooks.com
コメントを残す